2011年9月8日木曜日

消化不良

「急性リンパ性白血病」
友人Mさんがこの病にかかったと知ってからずっと心が落ち着かない。

Mさん本人から電話をもらった時、私はまだ起きたばかりで寝ぼけていた。
「元気にしてる?」という一言から始まり、彼女の声はいつものように明るく元気が良かった。
が、白血病で5月から入院して化学治療(抗がん剤)を受けていると聞きびっくりした。
家族の中にはドナー適合者が居なかったので骨髄バンクでドナーを探し、幸い何人か適合者が見つかったので来月初めに骨髄移植を受けるそうだ。

話の内容は相当重いものなのに、彼女の快活な話ぶりに安心した私は相変わらずの調子でしゃべり、最後は「お互い大変だけど命ある限りは精一杯生きましょう!」みたいなことを言って電話を切った。

頭がようやく回転し始めてからよくよく彼女の話を思い起こすにつけ、私は何て能天気でアホなことを言ってしまったんだろう!と慌てた。ネットで急性リンパ性白血病の事を調べたら病の深刻さに愕然とした。彼女がどんな気持ちで私に電話してきたんだろうと想像するとますます自己嫌悪に陥った。

自分が膠原病のSLEにかかっていると判明したのが2004年、その後も多発性筋炎、脳梗塞にもかかり、長い間病人をやっている私は病に対して変な慣れがある。
痛みのない日はないし、ほんの小さなきっかけで病が悪化する危険性を常に抱えている。年々体力が落ち、以前出来たことが出来なくなった、なんてことは多々ある。
「死」は常に「生」と隣り合わせで、いつ死ぬかなんて誰も分からない・・・明日突然死ぬことだって十分有りうるのだと思って日々暮らしている。
だからもし、私が今ドクターに「あなたはガンにかかっています。余命半年です。」と言われても、「あぁ、そうですか」と素直に事実を受け入れられる気がする。
しかし。Mさんが自分の病気を知った時、彼女はどんな反応をしたのだろう。これまで大きな病をせずに元気に過ごして来た人がそう簡単に白血病という難病を受け入れられるとは思えない。
私だって病気を受け入れるまでに相当時間がかかったのだ。そう思うと電話で彼女に何て軽はずみな事を言ってしまったんだろうと反省する。

私の親と同じ世代のMさんは初めて会った時から明朗快活、好奇心旺盛でアクティブな人。
母を亡くした私を娘のように心配し、かわいがってくれた。市が主催の英会話教室のクラスメイトとして一緒に勉強し、イベントにも色々参加した。美味しいごはん屋さんに何度も連れて行ってもらった。私が東京に住んでからは時々「元気にしてる?」と電話をかけてきてくれた。Mさんの家で手料理をご馳走になるのが帰省の際の楽しみの一つだった。
本当に本当にMさんにはお世話になっているのだ。

そんなMさんが病気になって苦しんでいるのに、お見舞いにも行けない、何も出来ない。散々お世話になって何の恩返しも出来ないのが辛い。
自分が病気になる事より、家族や友人が病気になる事の方が受け入れ難い。
この数日間、彼女が病であるという事を何とか自分なりに噛み砕いて消化しようと思っているのだがうまく行かない。心の消化不良を起こしている。

唯一救いに思える事は(でもこれが一番重要な事なのだけど)、彼女には家族の強力なサポートがあるということ。
Mさんファミリーは私にとってはまさに理想のような家族。Mさん夫妻はお互いのことをファーストネームで呼び合う。「お父さん、お母さん」じゃなく。お互い信頼し尊敬し合って現在に至っているのがよく分かる素敵なご夫婦。娘さんも息子さんも賢くチャーミングな人達。
きっと彼らは妻のため、母のため、いつも以上に団結してMさんを支えているのだろうと容易に想像がつく。病人にとって家族の助けは何よりも心強く、安心して治療を受ける為の必須条件だと思う。

来月の手術が無事に終わり、それが功を奏してくれる事を今は願うばかり。
少しでも歩けるようになったら何とか帰省してMさんに会って話がしたい。

長野に帰ればいつでも元気なMさんに会えるのが当たり前だと思っていた。当たり前のことなど何一つないのだと知ってるくせに、それが自然であるかのように思ってた。自分の命に限りがあるように、Mさんにも命の限りがあるのだと神サマに思い知らされた気がする。

今という一瞬を大事に生きる、毎日を大切に過ごす。私もMさんも出来ることはそれに尽きると思う。人生はその連続なのだから。神サマ、どうかMさんを快方に向わせて下さい。

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