2011年3月28日月曜日

駅まで歩く



退院してから初めてウチから駅まで歩いた。(と言っても入り口付近まで)
麻痺した左半身は相変わらず硬くて、杖をつきながら足を引きずるようにしてやっとの思いで歩いた。脳梗塞を発症して半年経ち、ようやく駅まで自力で行けたことは嬉しい。
家と駅の往復が難なく出来れば電車でのお出掛けもできるんだろうけど、今の私には無理。
でもこれを機にどんどん練習しなくっちゃね。

何も撮るようなものはないだろうと思ったけど、念のため彼に一眼を持ってもらった。
カメラを持って歩きながら撮るなんて事はまだ出来ないけど、座りながらなら何とか撮れる。
桜のつぼみがどこかでふくらんでいないかな?と探したけど、このトップの写真が桜なのかどうか分からない。ソメイヨシノではない事は確かだけど、別の種類の桜かしら??



久しぶりに駅近くにあるスタバに入って休憩。
さつまいもの五穀マフィンとラテをオーダー。
マフィンはお芋がごろごろ入ってて食べ応えがあり、雑穀のぷちぷちとした食感もよく美味しかった。これ真似して作ってみたい。

スタバのトレードマークが変わったというウワサは随分前に耳にしていたが、実際目にしたのは今日が初めて。随分とすっきりしちゃって味気ないマークになっちゃって・・・前の方がいいな。

欲張って書店と雑貨屋さんも覘きたかったけど、いっぺんにあれこれ頑張り過ぎると後がこわいので、輸入食料品店とドラッグストアにだけ寄った。ようやくトイレットペーパーをゲット♪
少しずつお店の品揃えは戻ってきてるようだ(オムツやカイロのコーナーはかなり空いていたが)。

万歩計の電池が切れてからずっと歩数をカウントしていないけど、800歩くらい歩いたかな?
予報では今週後半から春らしい陽気になるらしいので、暖かくなったらまた外を歩く事にしよう。

2011年3月24日木曜日

少しずつ

近所のパン屋さんで買ったフォカッチャ(ポテト&ゴルゴンゾーラ)

仕事が一段落した彼と一緒に5日ぶりに外へ。
スーパーへ行ったら今日は牛乳が残っていて買えた。
カップ麺やパン、ヨーグルトのコーナーも少ないながら商品が並んでいて、徐々にいつもの品揃えに戻っている様子。トイレットペーパーやティッシュは今日もなかった。ちびちび使っているので来週までは何とかなると思うけど、それまでに手に入るかがちょっと心配。
昨日東京23区と周辺都市のいくつかの水道水に放射性物質が溶け込んでいるとニュースで報道された影響でミネラルウォーターのコーナーは見事に空っぽだった。

計画停電の影響でしばらく店を閉めていたパン屋さんをのぞいたら、今日は営業していた♪
ここ最近、パンは家のホームベーカリーで焼いていたけど、もう強力粉がなくなってしまった(店でもずっと品切れ)のでどうしようかと思っていた所だったので助かった。
大好きなあんぱんはなかったけれど、食パンと惣菜パンをいくつか買った。

原発問題が改善されない限りは電力不足も農産物に放射性物質が付着したりする問題も収まらないと思うのだが、その原発はトラブル続きで一向に収束への兆しが見えて来ない。
計画停電はウチは今の所グループ内から除外されているらしく、未だに停電されていない。
が、今週末からは停電する地域を今までの5グループから25グループへと細分化されて実施されるらしいので、いよいよ我が家も停電になるかも?
いずれにせよ、引き続き節電にせっせと努めよう。

震度3程度の揺れが1日に2,3回はあるものの、先週に比べると余震も少なくなって来た。(でも何だかいつも体が揺れているような感じがする)
被災地で過ごす人達の厳しさは変わっていないが、復興に向けて少しずつ明るいニュースも増えて来たように思う。(祖母は先週前半に避難所から自宅へ戻ったそう)
停電や食料品や日用品の不足はしばらく続きそうだけど、それは多くの人が辛抱している事。
出来る事をコツコツとやる・・・周りに振り回される事なく生活していきたい。

2011年3月18日金曜日

スーパーにて

カップ麺はかなり品薄(携帯カメラにて撮影)


相変わらず左半身が硬くて思うように歩けないし、何だか何もする気になれなくてごろごろしていたけど「これじゃイカン!」と思い、1週間半ぶりに近所のスーパーまで歩いた。

ここ最近彼から聞いてた通り、野菜や果物は通常通りの品揃えだったけど、納豆コーナーは空っぽ、缶詰やカップ麺に始まるインスタント食品はかなり品薄だった(それでも数日前よりはマシらしい)。トイレットペーパーも在庫ゼロ。
そしてずっと欲しかった牛乳は5日連続で品切れ。でも今日は彼が足を延ばして別の店で牛乳を買って来てくれた。そこでもわずか2本しか残ってなかったそう。

店の陳列棚にはぎっしりと商品が並んでいるのが当たり前の光景だったのに、こんなにスカスカになった棚を見たのは初めて。
みな冷静になって必要な分だけ買っていればこんな現象も起こらないんだろうけど、商品によっては入荷しにくいものがあるらしいのでますます品切れが続出するのだろう。
それでも商品は少しずつ入って来ているようなので、この状態も長くは続かないと思う。
幸いここは電気もガスも水もあるのだ。ジタバタせずあるもので何とかやりくりするまでだ。


本日の夕食:新じゃがで作ったコロッケ

昼は何も作らなかったので、夕食は気合を入れてコロッケを作った。
いつものレシピと同じなのに、新じゃがで作ったらめちゃくちゃ旨い。
お芋ってこんないい香りがしたっけ?って不思議に思うくらい新鮮な香りがして、ちょうどいい水分量でしっとりほくほく。
揚げたて熱々のコロッケを食べたら元気が出た(ホント単純・笑)。

暖かい家の中で温かい食事が出来るって何て幸せなことなんだろう・・・毎日そう思いながら暮らしているけど、あの大地震が起こってからはより強くそう思う。
震災で厳しい避難所生活を送っている人達にも幸せな食卓が少しでも早く戻りますようにと願わずにいられない。



余震や計画停電で多くの人が振り回された一週間。
妹のように電車が通常通りに運行されないせいで歩きまくった人も多いでしょう。
通勤ラッシュが関係ない彼も停電の心配をしながら(PCが使えないと仕事にならない)部屋にこもって仕事をしてました。
皆本当にお疲れ様です。心配事は尽きないけど、週末ゆっくり休んで下さい。

今一番気掛かりなのは原発問題だけど、TVを見ても知りたい情報は得られないし、メディアのバカさ加減にうんざりするので(常日頃から感じてる事だけど)昨日から殆ど見ていない。
どんな方法でもいいからとにかく核燃料棒を冷却してくれい。

2011年3月16日水曜日

半年


脳梗塞を発症してから半年が経った。
半年も経てば普通に歩けるようになっていると思っていたが、そう簡単にはいかなかった。
発症から4ヶ月経った1月16日のブログを見ると、この時と現在ではそれほど大差ない状態だ。

2月初めに左半身のしびれが強くなったので歩行練習を控えていた。が、前回の外来時に主治医よりしびれがあっても運動量は徐々に増やして良いと許可をもらったので、これからは外で歩く回数を増やそうと考えていた矢先に先日の大地震が発生。ストレスのせいか左半身の緊張と硬さが抜けず、油断すると倒れてしまいそうで外を歩けそうにない。

手先は殆ど問題なく使えて料理も一人で出来るようになったが、腕を上げたり空中で手を動かすのにはまだ難がある。
重いものを持つと手首が変な角度で曲がってしまうので、未だにマグカップに飲み物を入れた状態で自分の口へ持っていくのが出来ない。フライパンで具材をあおるのも難しい。
左手でドライヤーを持って髪を乾かすのもまだぎこちないが、2ヶ月前よりは自然な動きになって来た気がする。洗顔や化粧水を顔につけたり、ボディローションを体に塗るのはかなり自然に出来るようになって来た。

リハビリは退院時から続けているヨガボールを使った運動に加えて、『東一のリハビリ部屋』のリハビリメニューにある「下肢の運動A~D」を3月6日から開始。
このサイトは元・理学療法士の94歳(!)のご老人が開設しているもので、ボディパーツごとのリハビリメニューが図付きで載っていてとても参考になる。

入院していた頃はリハビリの先生にすぐ質問や相談ができたし、強張った体の調整もしてもらえたけど、今は全部自分で何とかするしかない。
どんな事をすれば脳の新しい回路が活発に作られるのか分からないので、とりあえず色々な動きをして脳に刺激を与えようと思っている。それに加えて日常生活で出来る事が増えていけば、少しずつ麻痺した体が動いていくのではないかと予測してる。

2歩進んで3歩下がっているような現状に焦りも不安も感じるけれど、時間がどれだけかかっても以前の体の動きに限りなく近くまで戻す目標に変わりはない。
コツコツと今出来ることをやっていこう。

<その他の記録>
・体重は少しずつ増加し、入院前の体重に戻った。そろそろ大台、キケン・・・(汗)
・握力 左:13kg 右:20.5kg (前回値よりも左は1.5kg↑、右は0.5kg↓)
・血圧は下が高めながらも安定してきた。
・尿漏れはなくなったが、我慢する余裕はないので尿意を感じたらすぐトイレへ直行している。
・寝返りはかろうじて出来るようになってきたが、体勢を横向きにするのも一苦労する。
・左の足首や足の指が以前より動かせるようになって来た。
・寝ている間の歯の噛み締めは治まらず。
・左手で右手の爪を切るのはまだ難しい。
・何とか自分でブラ装着可能になった。
・気温の上昇に伴ってレイノーの出現は冬場より減ってきた。

2011年3月15日火曜日

停電

我が家にあったわずかなあかり

毎日テレビで震災のニュースばかり見ているが、日が経つにつれて死者や行方不明者数がどんどん増えていくし、被災地の無残な有様やそこで不安な生活を送っている人達の姿を見て心が痛む。

気持ちが沈んで体まで硬くなってしまい、地震が起きてから麻痺した左半身のしびれが増してますますうまく歩けない。
ただテレビを見てるだけの私がこんな状態なのだから、避難所で生活している人のストレスは計り知れない。
厳しい寒さの中で救助を辛抱強く待っている人達が早く救出される事を祈る。

東北の沿岸部に比べたら被害は小さかった東京でも余震はあるし、昨日から始まった計画停電で各地パニック状態になっている。

一番困るのは電車が動かない事。
停電によって電車の大幅な運休が実施され、しかもそれが通知されたのが当日の未明だったから、それを知らずに駅へ行った人達が大変な目にあった。私の妹もまさにそれで昨日は駅へ行ったものの結局家へ戻って会社を休んだが、今日は徒歩40分と動いている電車で何とか会社へ行ったらしい。

そして食料品や日用品の買占めに走る人でスーパーなどの店に行列ができ、入場制限までしかれる事態となっている。
昨日近所のスーパーへ行った彼の話では、カップ麺なんかのインスタント食品は棚に1個も残っていなかったし、牛乳やヨーグルトの類も一切なかったそうだ。もちろん電池やろうそくなんかも残っていない。パンを買いに行った妹もパンは殆ど残っていなかったし、トイレットペーパーも何故か売り切れだったという。

一時的にとは言え、停電になったら冷蔵庫を始めとする家電製品は使えなくなるし、店も営業するかどうか分からない。しかも停電もやるかやらないのか、直前になるまで分からないのでみなどう対処していいのか分からない。電力が足りないから計画停電で何とかやりくりしようというのは分かるが、東京電力の説明不足とバタバタとした対応には憤りを感じる。

ウチの地域では昨日は結局停電はなかったが、今日は15時過ぎから実施されるらしい。
非常用の食料だとか防災用品なんかを一切用意していない我が家で唯一停電時に使えそうな明りは小さなアロマキャンドル3個と大きなキャンドル1個、そして100均で買った懐中電灯だけ(苦笑)。
いつも以上に節電に努めているけど、いよいよ電気が消える時が来るのか・・・停電なんて雷で一時的に起こったのくらいしか経験した事がないので、いまいち電気のない状態を想像しにくい。

暗くなる前に出来る事をしておかなければ。

2011年3月13日日曜日

無事


その後、妹2人はそれぞれ何とか夜中過ぎに帰宅。
その知らせを聞いてとりあえず安堵するものの、依然連絡が取れない祖母の事は気掛かりだし、時々やってくる余震と自衛隊のヘリコプターの音でおちおち眠れもしない。

朝起きてテレビをつけ、津波が去った後の壊滅的な街の様子を見て愕然とする。言葉が出てこない。
いくら文明が進歩しても人は自然の圧倒的な力にはなすすべが無い。自然は容赦しない。
病気持ちでまともに歩けもしない私のような人間は、ああいう時すぐ死んでしまうんだろうな。たとえ避難できたとしても体が持ちそうにない。逃げ出す時に薬は絶対持っていかなくちゃいけないだろうな、とかテレビを見ながらどうでもいい事をつらつらと考えたりする。

今朝、父からのメールで八戸の祖母が避難所に居て無事だったと知らされた。多分そうだろうなとは思っていたけど、確認が取れない事には安心できなかった。ようやくほっとした。
そんなわけで幸いウチの家族はみな無事だった。
祖母は余震がおさまるまでは避難所生活を送るらしい。こんな時は家で独りでいるより近所の人や知り合いと一緒に居る方が祖母も心強いだろう。

大切な人や家も何もかも失ってしまった人達に対して自分が出来る事と言ったら、少しの寄付と節電くらいしか思いつかない。体が丈夫ならボランティアで現地へ向うことも出来るんだろうけど・・・

孤立して非難している人達が少しでも早く救出されますように。
生きている人たちに食料や支援がもれなく行渡りますように。
ただただ祈るしかない。

2011年3月11日金曜日

地震


いやはや、すごい地震だった。
宮城で震度7、東京でも震度5強の揺れ。今も頻繁に揺れを感じる。

地震発生時(14:45頃)は、ちょうど近所のスーパーへ買い物に行こうと思っていた所だった。
カタカタ・・・という小さな音と共に揺れが始まり、それがガタガタと大きな音へ変化し、部屋全体が横に大きく揺れ始めた。
「これはいつものより大きいぞ」と思っていたら、棚の上にある物が落ちたり、本棚の本が半分飛び出て来た。サイドボードの上のTVが横へ滑り落ちそうになって慌てて手で押さえるが、自分自身も揺れで転びそうになった。
時間にすると2,3分の強い揺れだったけど、やたら長く感じた。
その後も何度も大きな揺れがあって落ち着かない。

TVをつけると信じがたい映像の連続で、何もかも飲み込んで突き進む津波の恐ろしさを目の当たりにした。余震もあるので結局買い物にも行けず、ずーっとTVを見ていた。
電気もガスも止まらなかった事は幸運だったけど、料理をしている最中にまた大きな揺れが来たら・・・と思うと火を使うのが怖かった。

長野に住む父と青森に住む祖母へ度々電話するが通じず、都心で働く妹2人にメールするが送受信にえらく時間がかかる。
夕方妹達それぞれからメールがあり、会社でも揺れは激しかったが大丈夫だったとのこと。
少しほっとするが、都心の電車は終日運転見合わせなのでどうやって帰宅するのかと心配していたら、妹の1人から「品川から徒歩で帰ります」とのメールが!
無茶せず会社で待機せよとメールしたのに・・・大丈夫なんだろうか?

父とは20時頃ようやく電話で話が出来た。
実家は震度1程度の揺れで何の問題もなかったが、八戸の祖母とは電話が繋がらないとのこと。
停電になっているだろうから明日以降にならないと電話が繋がらないかも、だそう。
ボロい一軒屋に独りで住む祖母の無事を祈るばかりだ。
妹たちも無事家に辿り着きますように・・・

今まで経験した中で一番大きな地震だったけど、幸い私も彼も無事でした。
私達の身を案じてメールや電話をくれた友人達に感謝します。ありがとうね。

2011年3月7日月曜日

CS作品#3 鳥と花




『クロス・ステッチ復刻図案集』より、クラシカルな図案の鳥と花がモチーフの作品にトライ。
時間はかかったけど、やっと完成して嬉しい。
前回のアルファベットサンプラーは刺しゅう糸は1色のみだったけど、今回は主に3色を使用した分だけ裏側を気にしたり(裏も美しく仕上げるのが理想なのだ)、糸始末の回数も多くて手間がかかった。




←モチーフの配置は本の表紙にならい、











←配色は主にP.49の通りにした。

自分じゃ思いつかない色の組合せに挑戦するのも面白かった。







ちなみに、この作品のデザインはイルゼ・ブラッシという人によるもので、日本にヨーロッパの刺しゅうを広めた人として有名らしい。

この本には他にも彼女のデザインが幾つかあり、私の好な幾何学模様やシンプルなモチーフのものが多い。どれもシックで素敵で40年以上も前のデザインとは思えない。


ところで、今回最大の失敗は布を図案に対して小さく切り過ぎてしまったこと。
余白に余裕を持たせて切ったつもりだったのに、勘違いしていたらしく、1/3ほど刺しゅうした所でようやく気付いた・・・時既に遅しで結局そのまま完成させちゃったけど、今度から採寸と裁断には注意しよう思った。
あとは2羽の鳥の真ん中にある花?の上にしたステッチが上手く出来なかった。
こういう裁縫は本当に下手くそなのよね。気が短いからテキトーに終わらせちゃった(苦笑)。


さてさて、次はどんなデザインの刺しゅうをやってみようかな。

【使用布:オリムパス刺しゅう布 #3800 アイーダ オフホワイト、使用糸:DMC 25番刺しゅう糸 #498(赤)、#312(青)、#932(グレー)、#434(茶色)/全て3本どりで刺しゅう】
・仕上がりサイズは約20×23cm

2011年3月4日金曜日

外来日

前回は行きはタクシー、帰りは池袋駅までタクシーで残りは電車と徒歩にしたけど、今日は無理せず往復タクシーで病院へ。もちろん彼の付き添い有り。(1人で行けるようになるのはいつだろう?)
タクシーの窓からの梅の花が咲いているのを何度か見て春を感じる。
本当は自分の足で歩いて春を見つけたいものだ。

毎日0時過ぎにはベッドに入るものの、寝付けずに眠剤を飲むのが2時前後、しっかり寝入るのは朝方。そして起床は10時前後というパターンの生活を送っているので、今朝の早起きはきつかった。
タクシーの中でも、診察室へ呼ばれるまでベンチで待っている間もうつらうつら・・・彼も又然り(笑)。

さて、本日採った尿&血液検査の結果は・・・
尿検査では昨年9月末以来、ようやく検査項目に(+)値がなくなった!
つまりこれで膀胱炎からは解放されたって事なんだけど、まだあそこにちくちくとした違和感がああるのよね。もー、ホントしつこい。
が、ドクターにそれを言ったら「それは気のせいでしょ」だって・・・気のせいで違和感を感じるか??
まぁ、それは置いといて。
血液検査では前回の採血での抗DNA抗体の値は51.5で、前々回の値と同じだった。
ずっと増加傾向にあったのがここへ来て一応ストップはしたのは嬉しい。が、今日採った分がまた上昇しているかもしれないし、まだ安心はできない。
先月はずっと家にとじこもって動いてないせいか、CK値(筋肉の破壊度を示す)は67と低かった。
CRP(炎症値)はまた少し高かった。今年に入ってからずっと正常値超え。
これにはドクターも首を傾げているし、私も思い当たる事がない。・・・ので気にしない事にする。

そして、一番ドクターに相談したかった事を話す。
2月初めに左半身のしびれが出現し、それ以降うまく歩けなくなっている事、左をカバーする為に右半身に余計な力が入って緊張してしまい、それが左半身に伝わって更に左半身が硬くなってしまうという悪循環に陥っている事。
そして、それらの症状が現れていても体を動かした方がいいのか、それとも今まで通りしばらく安静にして様子を見るのがいいのか。無理することによって脳梗塞や脳溢血になる危険性があるのかどうか、などなど。
私の主治医は膠原病の専門医だから、脳梗塞の後遺症については詳しくないであろうと承知しているけど、この1ヶ月の間ずっと不安な思いで過ごしたので諸々の症状を話さずにいられなかった。

ドクターからは「薬(抗血小板剤)を飲んでいるから、梗塞や血の塊が出来るって事は考えにくいなぁ。手足に力が入りにくいって事はないようだし、しびれや硬さがあっても少しずつ運動する量は増やした方がいいよ。ただ、一度にやり過ぎないように。」と言われた。
今ここで無理に体を動かして病状を悪化させたら・・・とそれが心配で先月はおとなしくしていたけど、ドクターから運動の許可が下りたので、これからは余計な心配をせずに歩く事にする。

悩まされ続けている不眠も便秘も、「動くようになったら徐々に改善されるはず」とのもっともなお言葉。あと体重が増えている事を告げたら「もうこれ以上増やさないように。筋肉で体重が重くなるならいいけど脂肪で重くなるのは良くないね。」と痛い言葉を頂いた(苦笑)。
「風邪やインフルエンザにはまだ注意してね。あとこれから紫外線が強くなるから外出の際は気をつけて。来月は頭部のMRIをやりましょう」って事で今日の診察終わり。
やれやれ、病院へ行くだけで私も彼もぐったり。


体重増やすなと言われたのに、昼はマックのフィッシュバーガーとフレンチフライを食べ、夜もしっかり食べて、食後にはミルクたっぷりのカフェオレとバウムクーヘンまで食ってもうた。
ダイエットは明日から~♪わはは(笑)


とにかくこれからは運動量を増やしていこう。(←書いておかないと決意がすぐ鈍りそう・・・)

今日は寒かったけど、気温が上がれば外へも積極的に出るつもり。それによって一度掴みかけた歩く感覚が戻ることを切に祈る。