2011年7月20日水曜日

潜水服は蝶の夢を見る



先日、彼と一緒に見たフランス映画、『潜水服は蝶の夢を見る』は印象深い映画だった。

見た直後は何とも表現しにくい不思議な感覚に包まれたが、時間が経つにつれてボディブローのようにじわりじわりと頭の中に映画のシーンが思い起こされ、思考の海に浸ってしまう。
頭の中にとめどもなく湧き起る考えを文章にすると落ち着く性分なので(苦笑)、ここに感想を記しておく事にする。

この映画の主人公、ジャン=ドミニク・ボビーは雑誌『ELLE』の編集長として華やかで忙しい毎日を過ごしていた。そんな彼がある日息子とのドライブ中に脳卒中で倒れる。
目が覚めた時は病院で、ドクターから自分の身体が「Locked-in syndrome(LIS、閉じ込め症候群)」という状態に陥ってしまったことを告げられる。LISとは極めて稀な症状で、自分の意識ははっきりしているのに全身麻痺で身体のどこも動かせず、もちろん話す事も出来ない。まさに自分の体の中に閉じ込められたようなもので、自らの意思を外部に伝える事が非常に困難な状態である。

彼が唯一動かせたのは左目だけ。

周りの音も人の声も聞こえて状況判断も出来るし意識もはっきりしているのに、身体は全く自由にならない。言語療法士が左目のまばたきだけでコミュニケーションをとる方法を提案するが、時間も労力もかかるその方法に最初は乗り気になれない。自分の体に閉じ込められ何も出来ず、病院という空間に閉じ込められた日々に絶望し、一度は死にたいと言語療法士に告げる主人公。
そんな彼が病院スタッフや家族に支えられ、左目のまばたきでコミュニケーションする方法を会得し、編集者クロードの助けを借りて自伝を綴っていく・・・ 実話を元にしたストーリーはこんな所だ。

映画は主人公が見る世界、つまり左目から見える映像で進んで行くので、その狭い視界に慣れるのに少し時間がかかる。どういう技法を使っているのか想像もつかないが、この映像が妙にリアルで主人公と自分が一体化しているような感覚にとらわれる。

脳梗塞を経験した私にとっては共感できる点も多かった。(脳幹部に梗塞があったのも同じだ)
それこそ自分の頭の中はクリアなのに、半身麻痺のせいで身体が自由に動かせず、食べるのも排泄するのも人のお世話にならないといけない。そのもどかしさと恥ずかしさ。顔の筋肉も麻痺しているので左の口角が下がって上手くしゃべれない(ろれつがまわらない)。自分では普通に話しているつもりだが人に何度も聞き返される。苛立ちと悔しさがこみ上げる。
何をするのにも人に頼まなくてはいけない。でも、看護師は一人の患者にかまってはくれない。毎日ただ時間だけが恐ろしく長く過ぎていく。休日で医療スタッフの少ない寂しい病院で過ごすつまらない一日。見舞いに来た家族が帰った後の静けさと孤独感・・・等々。人事にはとても思えなかった。

半身麻痺ですら大変だったというのに、この主人公は動かせるのは左目だけ!しかも私のように日々体が動いていく気配も殆どない。時々、彼が重い潜水服を来て水中に漂うシーンが出るのだが、その表現は彼の状態をよく表していると思う。
愛する我が子に触れることさえ出来ない彼の身を想像するだけで絶望してしまいそうなのに、映画は時にコミカルに、リズミカルに進んで行く。思わず笑ってしまうシーンも多く、悲壮感はあまりない。
車椅子に乗せられて浜辺で過ごすシーンを中心に美しい映像が流れる。効果的に使われている音楽もいい(彼の回想シーンで使われるU2の「Ultra Violet」が頭に残る)。
これが日本で作られたら単なるお涙頂戴ものに終わってしまうような・・・。フランス映画って独特の世界観があるけど、見る側にあれこれ考えさせてくれるので私は結構好きだ。

脳梗塞直後と比べればずっとずっと動けるようになっているものの、毎日左半身のしびれや動かしずらさにもどかしい思いをしていた私だが、この映画を見た後はそんな文句は言えなくなった(笑)。格好悪い歩き方でも自分の2本の脚で何とか歩いて移動でき、食べ物を味わって食べれて、自力でトイレに行ける事に改めて感謝した。

「生きる」って何なんだろう、そんな事を日々つらつらと考えている私にとってこの映画は色々なことを考えさせてくれた。
どんな状況に陥ってもそこから何かを生み出せる人間がこの世に存在するという事実。
普段人間ってロクな生き物じゃないと思っていても、こういう人が居るんだと知るとまだまだニンゲンも捨てたもんじゃないな、と思えるから不思議だ。


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